愛媛県の記念硬貨一覧
地方自治法施行60周年記念貨幣(愛媛県) 1000円銀貨幣
発行年 | 平成26(2014)年3月8日 |
図柄(表) | 道後温泉とみかん |
図柄(裏) | 雪月花 |
素材 | 銀 |
品位(千分中) | 純銀製 |
量目 | 31.1g |
直径 | 40mm |
表面に描かれているのは、愛媛県の象徴である道後温泉とみかんです。
日本最古の温泉として知られる道後温泉は、愛媛を代表する観光スポットとなっています。
その歴史は古く、3,000年以上に渡るとも。白鷺(しらさぎ)の伝説で古くから名前が知られてきた温泉地であり、聖徳太子や夏目漱石をはじめ、数多くの有名人が訪れたことでも有名です。
また、そのかたわらに描かれたみかんも、言わずと知れた愛媛を代表する農産物です。県内では温州みかんのジュースや、県独自の品種である紅まどんなのゼリーなど、みかんを使った特産品が作られています。
温暖な気候と年間を通して良好な日照条件をいかして栽培が行われており、恵まれた環境の元で育ったみかんは甘くて上品な味わいです。
そして裏面には、全都道府県共通のデザインである雪月花が描かれています。
地方自治法施行60周年記念貨幣(愛媛県) 500円バイカラー・クラッド貨幣
発行年 | 平成26(2014)年7月16日 |
図柄(表) | 瀬戸内しまなみ海道と愛媛の島々 |
図柄(裏) | 古銭のイメージ(全都道府県共通) |
素材 | 銅、亜鉛、ニッケル |
品位(千分中) | 銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5% |
量目 | 7.1g |
直径 | 26.5mm |
銅、亜鉛、ニッケルでできており、それらがバイカラー・クラッド技術によって組み合わせられたのが、この500円記念硬貨です。
バイカラー・クラッド技術とは、異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟み込み(クラッド)作成されたコアを、さらに異なる金属でできたリングの中にはめ合わせる(バイカラー)という、複数製法のあわせ技を指します。
表面の図案には、瀬戸内しまなみ海道や、愛媛の島々が描かれています。
そのうち前者の瀬戸内しまなみ海道は、同県今治市と広島県尾道市をつなぐ海道です。
本州と四国を結ぶ重要な役割を果たしながら、自転車や車で絶景を楽しむことができる、利便性と楽しさを兼ね揃えた魅力的な道路となっています。
また愛媛の島の代表格である芸予諸島は、古くは村上海賊の本拠地として知られています。
芸予諸島を構成する各島の多くには、村上海賊にまつわる史跡が数多く残されているのが特徴的です。古城島には甘崎城跡、能島には能島城跡など、長い時間が経った今でも、海賊たちの足跡をたどることができます。
なお裏面には、全都道府県共通の古銭のイメージが描かれています。
【1,000円記念硬貨の表面『道後温泉』】
「愛媛県といえば?」と聞かれれば真っ先にあげる人もきっと多い、まさに愛媛県の象徴と言えるような観光地が道後温泉です。
そんな道後温泉にはいったいどんな歴史があり、どのようにして1,000円記念硬貨の図案に選ばれるような名スポットになっていったのでしょうか。歴史を紐解き、確認してみましょう。
道後温泉の歴史
日本最古の温泉地として知られる道後温泉。豊富な湧出量と高い温度で知られていますが、その歴史はなんと3,000年以上にわたります。
紀元前から長い間多くの人々に愛されてきた温泉ですが、いったいどのような出自を持つのでしょうか。
現代に遺された書物を元に遡ってみると、郷土誌(その土地の歴史を残した書物)である「予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりげんしゅう)」、そこに描かれた伝説が最古の記録となっています。
その昔脛にケガを負い、苦しんでいた白鷺がいました。その白鷺が岩間から湧き出る温泉を見つけ、それに脛を浸したらなんとケガが治ったというのです。その様子を見ていた人々が温泉に入浴してみると、彼らの疲れも癒えてゆきました。
それ以来湯治を目的に利用されるようになった……というのが、道後温泉のはじまりと言い伝えられているようです。
そんな道後温泉の効能は、各時代においても日本人から求められ続けていました。長年にわたり、さまざまな人々によって運営・保全されてきたのが、その証といえます。
たとえば、江戸時代。松山藩主であった松平定行は、「道後温泉」の施設拡充を実施しました。浴槽を身分ごとに分ける、十銭湯、養生湯を設けるなどして、江戸時代の多くの人々が入れるような温泉経営がなされてゆきます。
また、明治時代に入ると初代道後湯之町町長であった伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が、老朽化した「道後温泉本館」の改築を提唱したのです。そうして本館は明治27(1894) 年に現在の姿に生まれ変わりました。
そして今でも道後温泉は、重要文化財に認定されたモダンな本館をたずさえ、観光客や愛媛の人々を癒す安息の地として愛され続けています。
風土記の逸話
なお「伊予国風土記」には、道後温泉に関連してこんな逸話があります。
かつて大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が伊予の国を訪れた際、病気を患っていた少彦名命が道後温泉の湯に浸かったところ、元気を取り戻し、嬉しさで石の上で踊ったとのこと。
その石は玉の石と呼ばれるようになり、現在でも道後温泉本館の北側に存在します。
【松山市の記念メダル『松山城』】
地理的にも経済的にも、愛媛県の中心地として鎮座する松山市。
松山市のトレードマークといえば、やはり松山城といえるでしょう。
そんな現存12天守として名高い松山城では、記念メダルを購入することができます。
保全を繰り返し愛される城へ
現在でも美しい天守を保っている松山城ですが、築城されたのは江戸時代初期の慶長6(1603)年です。
松山城の築城を命じたのは、賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)と名高い、豊臣秀吉の中心たる加藤嘉明。戦功を得た結果、これまで住んでいた正木城が手狭になった嘉明が、慶長6(1602)年に着手した……というのが、この城のはじまりとなります。
慶長6(1603)年の完成後は、嘉明の会津転封や天明4(1784)年の落雷による天守閣消失など、幾多のトラブルに見舞われるものの、安政元(1854)年や昭和43(1968)年の再建・復元などを経て、令和の現在もその形を保つに至ります。
なお昭和に入ると、建造物2棟の重要文化財指定や、松山城跡の国史跡指定といった、松山城の歴史的価値を評価されてゆきます。こういったイベントをきっかけにロープウェイやリフトが開通され、城周辺が観光地として整備されていく運びとなりました。
江戸から令和、時代を貫け大天守
松山城の魅力といえば、やはり現在でもその形を残している天守といえるでしょう。
松山の中心を穿つように立つ層塔型天守は、周りから眺めても迫力満点なだけでなく、実際にその天守に登り市街地を見下ろすこともできます。
加えて、城内には歴史的な建造物や美しい庭園が点在しており、歴史と自然が両立した江戸ならではのノスタルジックな雰囲気を味わえるのも魅力的です。
今なお江戸時代の威厳を保つ、誇らかなる松山城。訪れた際は、その風格と景色を切り取ったメダルをぜひお手にどうぞ。